EXIT兼近「遅刻責める奴は能力低い」発言の真意とは?ひろゆきも同調、Xで議論沸騰の理由

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EXIT兼近「はっきりと言えることは、遅刻を許さない人は仕事ができないということ」

要するにこの記事は
  • EXIT兼近が「遅刻を責める人は能力低い」と発言し、SNSで議論に
  • ひろゆきも「遅刻しないことが正義は間違い」と、遅刻容認論を展開
  • 芸能界と一般企業で遅刻の捉え方は異なり、価値観の多様性が浮き彫りに

結局、自分を正当化したい奴らが騒いでるだけ。

SNSの反応

気ままに考察

この手の遅刻論争が毎回炎上するの、要するに「結果主義」と「プロセス主義」のぶつかり合いでしょ。兼近やひろゆきの発言は、エンタメ業界や一部のフリーランスにありがちな「結果さえ出せばプロセスはどうでもいい」という極端なロジックが根底にある。彼らは「優秀な人はスケジュールが詰まって遅刻しがち」と主張するけど、それって「俺たちは優秀だから許せ」っていう、ただの傲慢でしょ。

一方で、一般の会社員や組織に属する人にとって、時間は共通認識であり、遅刻は他者への明確な迷惑行為。遅刻しないことが「能力」ではなく、社会人としての「最低限のマナー」なわけ。そこを兼近が「能力低い」とぶった切るから、そりゃあ反発も起きるでしょ。

ひろゆきの言う「遅刻良くない教」とか「学校では〜、社会では〜」も、自身の経験に基づく偏った視点を一般論として押し付けてるだけ。自分の立ち位置で都合のいいルールを作るのは勝手だけど、それを普遍的な真理として語るのは無理がある。SNSでバズるため、って割り切るなら理解できるけど、本気で言ってるならおめでたい話でしょ。結局、自己正当化と承認欲求の成れの果てだわ。

遅刻の是非は、所属する環境と個人の責任感で決まる。それだけの話。

気になる質問

Q
なぜこのタイミングで兼近氏の発言がこれほど波紋を呼んだのか?
A

現代社会は時間厳守が基本倫理として浸透しており、兼近氏の「遅刻を責める人は能力が低い」という発言が、その常識を根底から揺るがす挑戦的なものだったため。特に、自分は時間を守っているのに「能力が低い」と断じられたと感じた層の反発が大きかったと推測される。

Q
ひろゆき氏が「遅刻容認」を主張する背景には、どのようなビジネス観があると考えられるか?
A

ひろゆき氏は「社会では、時間を守るより良い結果が重要になる」と主張しており、これは成果主義に基づいている。彼のようなインフルエンサーや、特定の分野で替えの利かない存在は、スケジュールが過密になりがちで、多少の遅刻よりもその人物が生み出す価値や結果が優先されるという、自身の経験や観察に基づく見解と推察される。

Q
一般の会社員が兼近氏やひろゆき氏のロジックを職場に適用した場合、どのようなリスクが想定されるか?
A

ソースにもある通り、ごく普通の会社員が遅刻した場合、「白い目で見られるのは間違いない」。芸能界の一部のような「結果を出せば許される」文化は一般企業にはなく、遅刻は信頼性の欠如と見なされ、人間関係の悪化、評価の低下、最悪の場合、懲戒処分や解雇に繋がる重大なリスクがある。

個人的な感想

「遅刻を責める人は能力低い」ねぇ。それって、要するに「俺は優秀だから遅刻しても許せ」って小学生みたいなことを言ってるだけだろ。論点はそこじゃない。芸能人や一部の天才肌が結果さえ出せば多少の遅刻が許される、なんてのは特殊な環境での話。一般社会でそれやったら、速攻で信頼失って詰むでしょ。社会ってやつはね、ルールと協調性で回ってるんですよ。それが理解できないのは、むしろ社会性が低いってことじゃん。

ひろゆき氏の「良い結果が重要」ってのも、まあ一理あるけど、遅刻して結果出すのと、時間守って結果出すの、どっちがスマートかなんて、考えなくても分かるでしょ。後者一択。だって、遅刻で失われた信頼や、待たされた側の時間って、どうせ誰も補償してくれないんだから。

「スケジュールが詰まってるから遅刻する」ってのも、プロ失格の発言でしかない。マネジメントする側も含めて、時間管理ができないのはプロじゃない。ただの自己管理能力不足。この議論、自分を「優秀な遅刻者」だと思いたいだけの、痛い奴らが騒いでるだけだわ。平常運転すぎて逆に面白い。

遅刻論争、結局は「自分ルール」を世間に押し付けたいだけの茶番。

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